Two and a half years in Cornwall
コーンウォールの2年半
翻訳といっても、文学作品などに代表される出版物の翻訳ではなく、日々の多種多様な業務で生じる文書の翻訳、いわゆる実務翻訳と呼ばれる分野のもので、依頼を受けると締切に追われ、まとまった睡眠時間がとれなくなってしまうような種類の翻訳をしている。
この前の案件もそうだった。これはある会社の監査報告書を英文にするというもので、普通の勤め人をしたことのない世間知らずのぼくにとっては、日本語で書かれている内容を理解するのにそもそも相当の時間が必要で、業界独特の言い回しや、用語、さらに報告書の執筆者自身の日本語の用い方にくせがあるなど、ぼくにとっては、大変難易度の高い案件だったと思う。
締切に間に合わせるには、長時間の集中が必要になってきて、それでもあまりに疲れてくると、ある日本語の表現を英語に置き換えようと頭をフルに働かせているはずなのに、Lelantの細い道で大型観光バスとすれ違う瞬間とか、A30を東に向かって走っているとき、車線変更をしようと左側を一瞬向いたときに見えた風景とか、ブランコのおいてあるパブに子どもたちを連れて行こうとしてパブの入り口へ右折して入ろうとハンドルを切った瞬間とか、そういう一瞬の記憶が映像として、何度もフラッシュバックしてきた。
正直言って、コーンウォールで個人的に、特に、アーティストとしてあまり得るものはなく、そこにいた2年半という時間は無駄だったかもしれないとずっと思っていただけに、最近になってコーンウォールでのほんの一瞬が映像、(いや画像かもしれない)、として、しかも仕事の最中に甦ってくるって一体どういうことなのだろう。単純に、この面倒な仕事を片付けて早く楽になりたいと言う気持ちはもちろんあるにしても、自分の中の無意識がコーンウォールでの出来事を思い出してみろと促しているような気がして、自分にとって、家族にとって、コーンウォールでの2年半はどういう意味合いを持つのか、さらにそれ以前のどんなできごとの積み重ねによってその2年半というものがあり得たのかということを考えてみた。
No comments:
Post a Comment